サラナクレイクへの道

 サラナクレイクはバルトークが1942〜45年の夏を過ごした避暑地の村です。サラナク湖という湖はありません。
 ASCAPからサラナクレイクでの転地療養を勧められたバルトークは乗り気でなく、初めての夏、行きの列車の中で「サラナク、サル・アナク(=バカ)…」と不平を漏らしていました(『父・バルトーク』p.267)。ところが滞在するうちにその環境に魅せられ、ここで晩年の主要な作品を生み出します。ASCAPの援助が途絶えた3年めは自費で滞在したことからも、バルトークのサラナクレイクに対する思い入れが分かります。

 

サラナクレイクの位置

 ニューヨーク州サラナクレイクは、ニューヨーク市から400kmほど北にあります(東京からみて盛岡くらい)。ニューヨーク州の州都オールバニがその中ほどにあります。

 

Google: サラナクレイク(北)とニューヨーク市(南)。

 

ニューヨークからサラナクレイクへの交通

 バルトークが訪れた頃は、ニューヨーク市からオールバニを経由し、山間部を避けて西に大きく迂回する鉄道路線がありました。しかし、戦後は車による移動が主流になり、迂回路線は観光用の一部区間を除いて廃線になりました(『父・バルトーク』pp.92〜93参照)。そのため、残念ながらバルトークと同じルートや交通手段でサラナクレイクに至るのは今では困難です。

 現地に知り合いもいない私は、ニューヨークからサラナクレイクを往復するのに電車やバスに頼りました。それでも旅行者には少々分かりにくい面があり、下調べと実際の旅、そしてその後の復習によって、どうにか説明がつくようになりました。これから訪れようという方のために、また私自身が次に訪れるための備忘録として、2つの代表的なルートをご紹介します。

 交通網や運賃は常に変動しています。これを参考にして生じた損失や不都合などについての責任は負いかねますので、ご自身の責任で判断してご利用ください。

 

第1ルート(列車とバスを半々)

 

(1) 列車でオールバニへ

 Amtrak の 63 Maple Leaf(Toronto行き)

乗車 Penn Station, NY (NYP) 7:15 a.m.

下車 Rensselaer Albany, NY (ALB) 9:45 a.m.

 

料金 $41〜(お確かめください)

予約と詳細 公式サイト From NYP, To ALB と入力します

 

別案 後で知ったのですが、NYP-ALB間は第2ルートの 69 Adirondack(NYP8:15 -ALB10:50)や格安のバスなど、複数の選択肢があります。

 

バスへの乗り継ぎ ハドソン川西岸のバスターミナルまで800mほど。徒歩かタクシーで移動します。

 

(2) バスでサラナクレイクへ

 Adirondack Trailways の ADT 106A

乗車 Albany Trailways Greyhound Station 1:30 p.m.
(グレイハウンドと共用のバスターミナル)
下車 Saranac Lake 6:00 p.m.

(バス停は Hotel Saranac の前)

 

料金 $38.25(お確かめください)

詳細 Adirondack Trailways のサイト。詳細は FARES & TICKETS>Buy Tickets on line に進み、左の Purchase Tickets をクリックし、From Albany, To Saranac Lakeを選択、予約するなら日付や人数等を入れていきます。

 

帰りは逆ルート(略記)

 

(2) バスでオールバニへ

Adirondack Trailway の ADT 1109 (Albany行き)

乗車 Saranac Lake, NY 11:06 a.m.

下車 Albany, NY 3:40 p.m.


帰りのチケット バス停 Saranac Lake にチケット売り場は見つかりません。オールバニで往復を買ったほうが安心でしょう。

 

(1) 列車でニューヨークへ

Amtrak の 64 Maple Leaf (Philadelphia行き)

乗車 Rensslaer Albany, NY (ALB) 7:20 p.m.

下車 Penn Station, NY (NYP) 9:50 p.m.

 

帰りのチケット ALBの駅にチケット売り場があります。

別案 ALB-NYP間は別の列車や格安バスの利用も考えられます。

 

まとめ

 

 時間がかかりますが、全行程が定期運行されている点で安心です。

 列車はハドソン川、バスは森林や山間部の両方の景色を楽しめます。

 バスターミナルの周辺にレストランが数件あり、バスの休憩でも軽食が手に入りますが、事前に準備したほうが安心です。

第2ルート(ほとんど列車)

 

(1) 列車と車でレイクプラシッドへ

 Amtrak69 Adirondack(Montreal行き)

乗車 Penn Station, NY (NYP) 8:15 a.m.

下車 Westport, NY (WSP) 2:08 p.m.

 

Amtrak の 7169(ワゴン車による送迎)
乗車 Westport, NY(WSP) 2:20 p.m.

下車 Lake Placid, NY (LPD) 3:05 p.m.

 

料金 $92〜(お確かめください)

予約と詳細 公式サイト From NYP, To LPD と入力します。
Wikipedia にも情報があります。

 

列車と車の接続 ワゴン車は列車が遅れても到着を待っているので安心です。

 

 

(2) 自力でサラナクレイクへ…

 全行程の3%にあたるこの区間12.5kmには、定期路線がありません。

 観光列車 Adirondack Scenic Railroad が週に2〜4日往復運行していますが、運航日だとしてもその日の最終便が2:30にレイクプラシッドを出た後です。

 迎えなどの手立てがなければ、レイクプラシッドからタクシーの利用が現実的です。

 

 

 

 

 

 

帰りは逆ルート(略記)

 

(2) レイクプラシッドへ

 タクシー等でレイクプラシッドのバス停へ。

 

(1) 車と列車でニューヨークへ

Amtrak の 7168(ワゴン車による送迎)

乗車 Lake Placid, NY (LPD) 12:15 p.m.
下車 Westport, NY (WSP) 1:00 p.m.

 

Amtrak の 68 Adirondack (Washington D.C.行き)
乗車 Westport, NY (WSP) 1:40 p.m.

下車 Penn Station, NY (NYP) 8:20 p.m.

 

帰りのチケット バス停LPDにチケット売り場は見つかりません。ニューヨークで往復買ったほうが安心でしょう。

 

 

 

 

まとめ

 

 第1ルートよりやや短時間で、往復ともあまり遅くならずに目的地に到着します。レイクプラシッドとサラナクレイクの間の不確定な面をクリアーできる方にお勧めです。

 ウェストポートは田舎駅で、売店も自販機もありません。ワゴン車の運転手に頼めばルートに1ヶ所だけあるコンビニ(Deli)に停車してくれますが、昼食も含め飲食物の準備が必要です。


サラナクレイク往復記 2013年夏

 フロリダでペーテル・バルトーク氏の89歳のお誕生日を祝った後、ニューヨークに戻り、今度は2泊3日の忙しいスケジュールでサラナクレイクを訪れました。

 当初は往復とも第1ルートのつもりでしたが、サラナクレイクでお世話になった方の勧めと援助で、帰りは第2ルートをとりました。

 

往路 2013年8月5日(現地時間)

 

 6:10頃、マンハッタンのホテルを出発。7番街の地下鉄[A]の14St.駅で、ダウンタウン行きの列車に乗りました。

 

 6:40頃、34St.駅で下車し、地上に出ることなく Penn Station に入場。「Amtrakに乗りたいのですが」と道を尋ね、数分で駅構内の西側(8番街側)にあるAmtrakのブースに到着。

 インフォメーションの斜め後ろに見える自動発券機(Quik-Trak)へ直接行ってみました。別の乗客に使い方を尋ね、クレジットカードを通すだけで予約の切符を手にしました。

 

 この時の切符は、ルート検索サイトに従いアムステルダムまで(オールバニの2駅先)。不審に思いつつも「オールバニでの乗り換えより便利なのかな?」と信じましたが、それが失敗でした。これはまた後ほど。


 改札まで時間があったので、売店やファストフード店で朝食や飲み物を買いました。次に飲食物が手に入ったのは約10時間後でした。

 7:02、出発便(Amtrak Departure)の電光掲示板で 63 Maple Leaf が改札中(Boarding)に変わり、アナウンスもあったので、表示された8W番線のゲートに並びました。係員に切符とパスポートを見せ、エスカレーターでホーム階に降ります。

 7:11、発車まで残り4分。車掌が指示する車両に慌ただしく乗り込みます。自由席なのになぜ1つの車両に誘導されたかは、その時は分かりませんでした。この件は後ほど。

 

 車内には先客が座っています。この列車が深夜3時台にワシントンD.C.の始発だったことは後で知りました。

 7:15、とりあえず座席を確保したところで、定刻に発車しました。車内は日本の新幹線や特急のような感じです。

 

 左側(西側)の車窓はハドソン川の眺めが楽しめますが、右側は崖ばかり。マンハッタン島の西側の縁(へり)を北上します。

 車内は清潔です。座席はアメリカ仕様。短い足をいっぱいに伸ばしてもまだ余裕です。日本の列車と同様に、前の席の後ろにテーブルや小物入れのネットがあります。

 スーツケースは、乗車口の近くにあるスペースに自由に置きました。

 

 

 列車は発車して15分後の7:30頃から止まったまま。説明の放送があるわけではなく、かといって誰も騒がず、のんびりしたものです。しばらくして、眺めがいい左側の席に移りました。

 8:10、約40分間の停車の後に、列車が動き始めました。

 

 8:15、発車して約1時間なのに実質20分しか進んでいません。いまだにマンハッタンにいます。写真は朝日を浴びるハドソン川西岸。列車はその上流、写真の右方向に進んでいきます。70年前にバルトークも、サラナクレイクやリヴァートンの往復で、何度もこの光景を見たことでしょう。

 ハドソン川にかかる橋はさすがに大きい。これはハミルトン・ビーコン・ニューバーグ=ビーコン橋。川幅が2kmほどあります。

 慣れない地名や駅名も。ここは先ほどの大きな橋から10分ほど北にあるプケプシーの駅。30分の遅れで、少し縮まってきました。

 発車して2時間半。ハドソン川の対岸が徐々に近づき、ときには川がこんな浮き草に覆われていたりします。視界には緑が増え、すっかり大自然になりました。

 窓際にACのコンセントが2つあり、デジカメの電池とiPhoneを充電中…と思ったら、iPhoneは「充電」ではなく「節電」の表示!? 電流が来ていませんでした。

 

 無料Wi-fiは信号が微弱です。ブラウザを見るくらいはできますが、Facebookへの投稿はたびたび失敗。車内を歩き回ってポイントを探し、車掌室に近づくと電波状況が改善しました。

 発車すると乗客は車掌から行き先を尋ねられ、車掌はその行き先を小さなカードに記入し、座席の上の荷物入れに挟みます。車掌はこのカードを見ながら巡回し、降りる駅が近づいた乗客に声を掛け、乗客が降りた後はカードを取り去ります。私のはアムステルダムを示す「Ams」と書かれています。席を移った時に自分でカードも移しました。人間味がある「おもてなし」なのかどうか、なくても不都合はないでしょうし、他にもっと改善すべきことがあるんじゃないかという気もしました。

 10:20、35分遅れでオールバニ=センセリア駅に到着。交通の要所と思いきや、こじんまりとした田舎駅で乗降は一両から数人という感じでした。

 

 ここで列車に留まるか降りるか迷いました。ルート検索サイトは2駅先のアムステルダムでの乗り換えを指示しています。しかもバスはアムステルダムから一度オールバニへに戻ってサラナクレイクに向かうようです。ただ、乗り換えサイトが間違いを教えるはずがないし、長い橋を歩いて渡るより便利な乗り継ぎを示しているかもしれず、不案内な土地での勝手な判断を避けてネットに従うことにしました。

 

 遅れを取り戻すどころか、列車は機関車を交換するという理由で予定より長く停車。列車は10:44に41分遅れで動き出しました。数分後また10分近く停車しましたが、アナウンスはほとんどなし。進行方向左に向きを変え、車や人が通る橋とは別の鉄橋を渡り、オールバニの町に近づき、そしてどんどん離れていきます。この先どうなるんだろう…。

 ここに来て列車はスピードを上げました。次のスケネクタディまでは原生林の中を、その先はモーホーク川沿いを猛烈に突っ走り、人里からどんどん遠ざかっていきます…。こんなに遠いところからオールバニに行くバスに乗るってどういうこと? この頃には乗り換えサイトへの信頼は消え、何分でオールバニに戻れるかを計算を始めました。
 「オールバニ行きのバスに乗るんですが。」車掌に尋ねると「乗り換えのことは分かりませんが、あと30分でアムステルダムに着きます」とのこと。かなり離れてしまいましたが、この調子ならバスに間に合いそうです。

 あと10分、あと5分…アムステルダム駅が近づくとどうにか安心。スーツケースを手に乗車口に近づきました。他にも降りる客がいる様子。おや? この黄色い台は?

 11:15、アムステルダム駅に到着。デッキの車窓からは田舎の風景が見えます。あの黄色い台を踏んで列車を降りました。用が済んだ踏み台は車掌が電車に積み込みます。

 メイプルリーフ号、さようなら〜!

 写真を撮りおわって振り返ると、おや、人がいない? 駅の白いドアを開けると職員も客も誰一人いません! 列車から降りた数人の乗客はどこかに消えました。乗り換えるはずのアムステルダムのバス停はどこ??

 

 大通りを車が東西方向に走り抜けていきます。その先に民家が見えますが、人の姿はありません。アムステルダムのバス停まで歩くのか? でもそれは左右どちら? バスに乗らないとサラナクレイクは行けません。大ピンチです。

 11:30、駅に戻り、居合わせた人に事情を説明し、電話でタクシーを呼んでもらいました。

 

 12:15、そのタクシーでアムステルダムのバス停がある建物に到着。初乗り運賃の6ドルほどでしたが、ピンチを切り抜けたうれしさと急いでいてチップ計算するのも面倒で10ドル渡してしまいました。

 

 広い建物をスーツケースを引っ張って駆け回り、目立たないバス会社のコーナーを発見。チケットを購入し、外のバス停にダッシュ。

 12:15、発車10分前にバス停に滑り込みました。

 ベンチで隣り合った女性はサラナクレイクから来たと言い、目的地が近づいた感じがしました。その女性に安堵している私の姿を撮ってもらいました。

 購入したチケットは2枚。

 上はグレイハウンドのバスで「アムステルダム発オールバニ行き」$8.50。無駄!

 下はアディロンダック・トレイルウェイのバスで「オールバニ発サラナクレイク行き」$38.25。

 Google map:迷走区間のまとめ

 列車のアムステルダム駅(左)とバスターミナル(右)。この間は約3.3km。今なら冷静に地図で示せますが、その時はバス停の方角すら分からず、タクシーに救われました。アムステルダムの中心地(右)からずっと離れた場所に列車の駅があるのが不思議です。

 

乗り換えサイトの誤った表示(当時)
乗り換えサイトの誤った表示(当時)

 こうなると、乗り換えサイトがアムステルダムでの乗り換えを示したことにはまったくあきれます。それを信じた私も良くなかったのですが。
 乗り換えサイトには帰国後に上記の顛末を報告して抗議し、運営者から謝罪のメールがありました。

 12:25、グレイハウンドのバスが定刻に発車。急いでオールバニに戻れ! Wi-fiは弱く、ブラウザの閲覧が精一杯。

 

 13:20、オールバニのバスターミナルに5分遅れで到着。出発まで残り5分! 建物の内外に売店や食堂がありそうですが、それどころではありません。サラナクレイク方面のバス乗り場を探しまわりました。

 3時間前にダラダラと停車していたオールバニ=レンセリア駅は1kmほどのところにあります。ここを歩いて乗り換えれば、ゆったりと夕食をとってもまだおつりがきたはずです。

 13:25、バスが出発! ゆったりとして冷房も効いた室内。50席ほどありますが、乗客は10人程度で、ニューヨーク市内のすし詰めバスとは大違い。Wi-fiは良好でFacebookへの投稿完了。AC電源もありがたい。

 オールバニの町中をまわってハイウエーに乗るり、あとは87号線をひたすら北上します。お天気は最高!

 バスは山間地帯に入っていき、こんな風景が延々と続きます。植生は高地のものです。

 

 16:40、出発から3時間強。スクルーンレイクの先の田舎の小さな食料品・雑貨店前に停車し、15分間の休憩です。写真はバスの全景です。

 ファストフードのような品はなく、お菓子類ばかりでしたが、朝から何も食べていなかったので、これらで空腹を満たします。アイスで生き返った〜!

 17:40頃、キーンヴァレー(鋭い谷)を通過。両側の切り立った山との標高差! 硬い岩肌が露出しています。

 

「父は車で行かなかったので、アディロンダック山脈一帯の眺めは列車の窓から見える景色に限られていた。(中略)車でキーンヴァレーを経由するか、ホワイトフェイス山の横を通っていたら、父は胸を踊らせただろう。」『父・バルトーク』p.92-93.

 18:00頃、1980年冬季オリンピックの開催地レイクプラシッドを通過。広大なグラウンドでラクロスの大会が開かれているようでした。

 レイクプラシッドの狭い町中。かわいらしいお店が軒を連ね、観光客の姿が多く見られます。
 ニューヨークのホテルを出てから12時間、ゴールまでもう少しだ。

 18:30、日が沈む方角にフラワー湖が見えてきました。この先、信号のある交差点を右に曲がると目的地なのはGoogle Mapで下調べしてありました。

 18:35、サラナクレイクに到着! 運転手さん、お疲れ様でした。

 バス停は、滞在先のホテル・サラナク前。ホテル・サラナクは2014年4月に改装工事が始まっています(Adirondack Daily Enterprise)

 

 不慣れと調査不足から無駄な時間を費やしましたが、ニューヨークとオールバニ間を上手に移動すれば、所要時間はもっと減らせそうです。

 私に大冒険をさせた検索サイトの routefriend は、現在は第2ルートを正しく表示しています(レイクプラシッドまで)。予約も可能ですので、自己責任でご覧いただいてはいかがでしょうか?

復路 2013年8月7日(現地時間)

 

 11:45、サラナクレイクを自家用車で出発。

 12:05、レイクプラシッドのバス停(ハイピークスリゾート前)に到着。

 写真は2日間お世話になった上にレイクプラシッドまで来るまで送ってくれた、ヒストリック・サラナクレイクの元主任学芸員のメアリー・ホタリングさん(中央)とご主人のジェイムズ・ホタリングさん(右)。メアリーさんは2001年にバルトーク・キャビン(バルトーク夫妻が1945年に滞在した山小屋)を修復した時の中心人物です。

 12:10、予約していた2名の客が揃ったようで、ワゴン車は定刻より5分早く発車しました。

 12:17、レイクプラシッドの町中を通過。写真は1980年に氷上の軌跡として話題となったハーブ・ブルックス・アリーナ

 メアリーが「途中に食事するところはないわよ」と持たせてくれたサンドイッチとナッツ(涙) 実際この後、この食料でニューヨークまで生き延びました。

 12:58、エリザベスタウンという町で停車し、運転手がコンビニに入りました。私も見せに入らないかと声を掛けられましたが、ランチがあるし、ウエストポートの駅も近づいていて、駅で何か買えばいいと思って車内に留まりました。

 ちなみにアメリカではキャリアに接続せず無料Wi-fiに頼ったiPhone、山間部は「圏外」ながらマップだけは生きていました。このマップには何かと助けられました。

 13:05、ウェストポートの駅に到着。改札も柵もなく、誰でもホームまで自由に行けます。

 事務所に職員が数人いて無人駅ではありませんが、売店どころか自販機1つありません。駅前に街があるわけでもなく、田舎にぽつんと立っているだけ。これは予想外。メアリーのランチがなければ、ニューヨーク市まで何も口にできませんでした…。

 ここは1日に列車は上り・下りとも1本しか来ないのでしょうか?

 

 さてその列車ですが、定刻になっても来ません。運行情報は一切なし。乗客は20人くらい集まって来たので、列車は来るのでしょう。レイクプラシッドから乗ってきたワゴン車も停車し、到着する乗客を待っています。穏やかな風が吹き、鳥の鳴き声がする、のんびりとした午後です。

 40分ほど過ぎたでしょうか、乗客の一人が駅の窓口で「いつ来るの?」と尋ねると、普段着姿の駅員のねーちゃんたちは「さあねぇ〜」。遅れは日常的なのでしょう。携帯で誰かに問い合わせた乗客が「〜分遅れみたいよ」と他の乗客に知らせている始末です。

 ホテルには遅れて到着することをメールで知らせました。

 

 14:40、列車が汽笛を鳴らしながら、ほぼ1時間遅れでやってきました。駅員のねーちゃんが踏み台を持ってダラダラと列車に近づきます。結局、1ヶ所から乗れってわけ?

 ワゴン車で一緒だった客が真っ先に乗り込みます。

 私も乗り込み、空いている席を求めて隣の車輌を移動しようとしたら、車掌に「こっちの車輌ですよ」と止められました。一応従ったものの納得がいかず、さっきの車掌を見つけて「なぜそっちの車輌に乗れないのですか? 指定席ですか?」と尋ねました。すると「乗車駅ごとに乗る車輌が決まっているんです。そうしないと後で乗る乗客は座れないじゃないですか?」でもせいぜい車輌には20人程度で、それほど混んでいませんでした。席に着くと、別の車掌から名前を尋ねられ、車掌が端末の乗客名簿に私の名前があることを確認しただけでOKでした。チケットいらずです。でも改札を出る時はどうするんだろう? まあ、この緩さだからなんとかなるか、と思って気にしないことにしました。

 今度はハドソン川の西岸を南下してニューヨークに向かいます。こうした風景が続きます。

 この川の向こう(東側)はヴァーモント州で、バルトークは1941年にアガサ・ファセットの別荘に滞在したことがあります。

 16:30、フォートエドワード着、1時間5分遅れ。

 16:50、サラソタスプリングス着、57分遅れ。

 17:20、スケナクテディ着、35分遅れ。なぜ取り戻せたのだろう?

 

 17:45、オールバニ=レンセリア駅に到着。ここが大冒険の出発点でした。これで復路の約半分。ほとんどを列車に頼るこのルートは、やはり環境の変化に乏しいようです。

 30分も遅れて到着したというのに、驚いたことに40分も停車しています。この緩い時間感覚にもようやく慣れ、流れに身を任せています。

 21:05、ペン駅に到着。結局30分遅れで済みました。改札を出る時は誰もチェックしておらず、フリーパスでした。やれやれ。

 21:35、ペン駅で夕食のハンバーガーを買った後、少しだけ外の空気を吸いに。7番街(ファッション・アヴェニュー)は活気に満ちていて、午前中まで大自然にいたのがまるで夢のようです。夜の見学もしたいところでしたが、再び地下に戻り、地下鉄を利用してホテルに直行しました。

 

 次はサラナクレイクの紹介を書こうと思います。お楽しみに。

ニュース

2024年1月5日

あけましておめでとうございます。
LPレコードの残りの在庫を確認してそれぞれに記載しました。
2023年2月9日のご案内は予期しない多忙さによりまだ実現できていません。今年は進めるつもりですが、お探しのバルトーク関連楽譜(日本版・外国版)や書籍(日本語・外国語)があれば、遠慮なくお問い合わせください。

 

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2月9日

状況の変化に伴い、これまで入手した楽譜や書籍(多くは古書)、それに自費制作楽譜の処分を少しずつ始めます。「ショップ」→「新・特別提供」

 

2023年1月28日

ショップの「品切れ・販売終了」が増えています。カタログ上は記念碑的に残しておきますが、ご入り用の品はお早めにご注文ください。

 

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4月15日

ペーテル・バルトーク氏の遺灰はウィスコンシン州マウント・ホーワープの墓地に埋葬されました。

 

4月13日

国内の倉庫の片隅にあったLPレコード20品を特別入荷しました。それに伴い一部の「品切れ・販売終了」の表記を外しました。どの品も残部稀少であることに変わりはありません。また、米国バルトーク・レコーズのウェブサイトが閲覧できなくなっているのを確認しました。

 

4月12日

『カンタータ・プロファーナ』のヴォーカル・ピアノ版が販売終了しました。

 

2022年2月13日

CDの販売終了が3品目になりました。ご注文はお早めにどうぞ。

 

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11月15日 CD1309 カンタータ・プロファーナ/ヴィオラ協奏曲が販売終了しました。

 

11月1日 米国バルトーク・レコーズから荷物が届きました。特別なご厚意によるもので、これが最後と覚悟しています。LPレコードの一部は米国にも在庫がなく、入荷しませんでした。今後の入荷の見込みはありません。一方、これまで存在を知らなかったCD, BR1903が入荷しましたので、ご注目ください。

 

10月 米国バルトーク・レコーズは事業を停止しました。現地の商品在庫の今後についてはまだ決まっていない模様です。

 当方「バルトーク・レコーズ・ジャパン」は2010年からペーテルのささやかなお手伝いをしてまいりましたが、商品の入荷が途絶えた以上、在庫が尽き次第販売を終了するしかない状況です。

 当方ではすでにLPレコードから在庫切れが始まっていますので(どの品も在庫数はほぼ1桁台です)、必要な商品がありましたら、お早めのご注文を検討くださるようお願いいたします。

 

2021年3月6日 『父・バルトーク』が好評につき重版となりました。おおむね初版通りですが、微細な修正と補記が入っています。今年はバルトーク生誕140周年ということもあり、引き続きご愛顧をよろしくお願いいたします。

 

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12月7日、作曲家ベーラ・バルトークの次男ペーテル・バルトーク氏が米国フロリダ州ホモサッサの介護施設で96歳にて永眠いたしました。葬儀についての情報はまだありません。この場をお借りし、生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ申し上げます。

 

2020年7月1日 原因不明の腹痛で入院し、7日時点で継続中。病院のベッドの上の不自由な中で調査・執筆中です。現在、ご注文に対応できない状態になっています。ご理解をお願いいたします。(7月14日に退院しました。ご注文への対応も再開いたします。)

 

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2019年12月9日、今年も残りわずかとなりました。昨年末からの多忙さで手薄になっていて、一部在庫切れに今頃気づき、再注文するところです。

 

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2018年11月2日、2週間のアメリカ旅行から帰国しました。バルトークのアメリカ生活について調査が進みました。

7月23日、ご無沙汰しておりました。今年は特に多忙になり、目に見える活動ができずにいます。6月10日にちくま学芸文庫『バルトーク音楽論選』(伊藤信宏・太田峰夫訳)が出版されました。ハーヴァード大学での講義の日本語訳が初めて収録されました。

 

2017年6月16日、事後になり申し訳ありません。本日、NHK Eテレの『らららクラシック』バルトークの管弦楽のための協奏曲が放映されました。陰で少しお手伝いしました。ニュガトに「中国の不思議な役人」原作が掲載されて100年になりました。

 

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11月5日、品切れになっていたLPレコードの303, 313, 905が再入荷しました。

 

9月30日、帰国しています。ペーテルは車椅子等の補助が必要ですが、数m程度なら自分で歩くことができ、安心しました。いずれ当ウェブサイトで報告したいと思いますが、現在は多忙で時間がかかりそうです。

 

9月21〜29日、ペーテル・バルトーク氏のお見舞い他のために渡米します。

 

8月27日、LPレコードの303, 313, 905が在庫切れ・再注文中です。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

 

7月28日、次の日曜日はペーテル92歳のお誕生日です。昨年に引き続き、一緒に誕生日を祝うことはできませんが、9月にお見舞いに行けそうな状況です。昨年の転倒により車椅子生活ながら、お元気と聞いています。

 

7月9日、下記でご連絡したCDが再入荷しました。

 

4月27日、3種類のCDが在庫切れで入荷待ちになっています。予約注文は承りますが、別便で遅れて発送になる場合があります。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。1009(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲)、1908(ティボル・シェルリ)、1914(ハンガリー民謡集)。

 

2016年2月10日、昨年末で欧州におけるバルトークの著作権が切れ、新たな出版等もあるようです。そのなかで粗悪品の売りつけや不誠実な対応(結果的に詐欺まがいな行為)を耳にしており、事前に確認して納得して利用されるようお勧めします。具体的にはここ。

 

7月21日、ペーテルの後継者で編集者のピーター・ヘニングス氏の手術が終了終了しました(これで2度め)。バルトーク・レコーズの中心人物の怪我と病気でさらに前途多難です。お二人のお見舞い用に千羽鶴を家族で折り始めていますが、どなたか可能な方、手を貸してください。ご希望の枚数の折紙を当方からお送りし、鶴を折って返送していただく形です。メッセージカードを加えるなどの工夫も歓迎いたします。

 

6月12日、ペーテル91歳のお誕生日祝いとお見舞いは、主に資金不足からほぼ断念。ただ、航空運賃が安い9月にお見舞いに行く可能性を残しています。カンパは最初の1件だけです。CD《物語》の訳を《おはなし》に変更しました。新たに「お客様の声」を作りました。ショップ→お客様の声

 

4月18日、ペーテルのリハビリの効果が芳しくなく、車椅子が必要となりました。そのため自宅やバルトーク・レコーズでスロープ設置工事が始まります。

 

4月10日、今月からメール便が廃止されています。代替手段を検討中で、クリックポストにも対応するつもりです。古い表記は順次切り替えていきます。

 

3月18日、まもなく2ヶ月になりますが、ペーテルは当初の予定を越え、現在も病院でリハビリを続けています。快復を祈るばかりです。

 

1月28日、クリスタルリヴァー市のセブン・リヴァーズ・コミュニティ病院に入院中のペーテルは食欲があり、ベッドから起きることもできています。バルトーク・レコーズの職員が自家製のスープを毎日届けています。歩行訓練も含め、あと2週間ほど入院が必要とのことです。

 

1月23日、下記のように書いたところ、さっそく第1号のカンパを頂戴いたしました。もう感謝でいっぱいです(涙)まとまった数になったらご報告することを考えています。

 

2015年1月20日、ペーテル・バルトーク氏が自宅で転倒し、腰の骨を折り入院しました。20日(現地時間)に手術が行われます。高齢のため、手術もリハビリも困難な道のりが予想されます。

 お見舞いの渡米も現実味を帯びてきました。当ショップの昨年1年間の総売上は10万円ほどで、余裕はありません。商品の積極的なご購入、あるいはカンパ(ご寄付)の形でご協力いただけたら幸いです。カンパの送金先は「ホーム」に紹介する専用口座で、あわせてメールで名乗っていただけますようお願い申し上げます。

 

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