『父・バルトーク』(日本語版)

 2013年8月、スタイルノートからペーテル・バルトーク著『父・バルトーク』を翻訳・出版することができました。これまで支えてくださった皆様、そして本書をお読みになってくださった皆様に、心から御礼申し上げます。

 

サイズ: B5判、464ページ

出版社: スタイルノート

ISBN-10: 4799801198

ISBN-13: 978-4799801192

発売日: 2013年8月8日

定価:4,000円(税別)

 

『父・バルトーク』注文出荷制のお知らせ

 出版事情に詳しいわけではありませんが、私が知る限り、2013年8月の発売時、本書はご注文くださった冊数のみ書店に出荷されました(自動配本はありません)。以後、それが売れれば補充されるでしょうが、その時に注文しなかった書店については、いくら待っても店頭に現れないと思います。まだお手元にない方は、ご面倒でも下のチラシ(PDF)をご参考にご注文ください。よろしくお願いいたします。

 

『父・バルトーク』チラシ
チラシ.pdf
PDFファイル 3.1 MB
『父・バルトーク』チラシ書店用
チラシ書店用.pdf
PDFファイル 5.5 MB

『父・バルトーク』書評・紹介記事

2013年9月22日 産経ニュース 書評「父・バルトーク 息子による大作曲家の思い出」

2013年9月30日 日本経済新聞「バルトーク愛 楽譜校訂」

2013年11月6日 朝日新聞山形版「バルトークの回想録 遺族と親交重ね翻訳」

2013年11月8日 山形新聞「「父・バルトーク」翻訳出版 現代作曲家の回想記」

(ただいま整理中)

 

「父・バルトーク」こぼれ話

 「訳者あとがき」等では書き切れなかったエピソードや、本書の内容にまつわる補足です。順不同で、時おり並べ替えると思います。

 

My Father原著(1冊め)への著者サイン
My Father原著(1冊め)への著者サイン

影響を受けた10年間
 私が原著 My Father を最初に手にしたのは発行の翌年、2003年で、購入時にペーテルのサインをいただきました(保存用の1冊め。作業用にもう2冊あります)。それから2013年に日本語版が出版されるまでの約10年間、時には軽く、時には翻訳のためにじっくりと読んでいました。

 その間、私はどういうわけか本書から大小の影響を受けました。まず、私とバルトークの似ている点が多数見つかり(各種才能とマザコン、下ネタは除く)、親近感が湧きました。例示するのも大変なほどですが、たとえば音楽以外に昆虫、機械、電気、天体などへの興味が一致していて、音楽を得意とする翻訳家より私のほうがそうした話題に強く、訳しやすかったかもしれません。また、バルトークは資料と筆記具をどこにでも持参し、休みなく仕事をし、いつ終わるやらと嘆いていたことが書かれています。私もノートパソコン1つあればいつでもどこでも執筆・編集等をし、そしてアイディアを形にするための時間がまったく足りません。

 翻訳の参考のため、記載されていることをできるだけ体験しようとしました。レストランのメニューにライ麦パンがあると注文してみましたし、焼いたパンにバターを塗り半切りのニンニクをすり込むという食べ方に影響され、おろしニンニクで代用して味をしめ、今もやっています。

 意識的にマネしただけでなく、重大な判断において、本書から無意識的に影響を受けた点もあったと思います。バルトークはナチスの害毒を逃れて新天地アメリカに移りました。本書の翻訳中、私は長年親しんだ環境に押し寄せる居心地の悪さは我慢の限界まで達し、無謀とも思える新たな道に踏み出しました。結果的に経済的に不安定になり、不自由な転居も強いられました。ついには大病を患って5年後に…という不安もありましたが、そこは似ないで済んだようです。

 このように本書が私に与えた影響は大きく、単なる翻訳者という立場を越えて、自分の人生とどこか不可分なものを感じています。不思議というしかありません。

 

翻訳許可は3度めの正直 p.453

  翻訳許可については「訳者あとがき」で、2006年の訪問の時に発案し、翻訳の許可をいただけたと書きましたが(p.453)、より正確にはその場で許可されず、3度めのお願いで実りました。

 1度めは、2006年9月に初めてペーテル宅を訪問の時のことです。当時、私はペーテルから舞台と自筆譜で見る『中国の不思議な役人』の翻訳許可を得て、訳し終えたにもかかわらず、複数の出版社から出版を断られていました。その話題で「残念です。My Fatherの日本語版だったら、もっと歓迎されるでしょうけど」と話しました。周りのスタッフはうなずいてくれましたが、ペーテルは少々困惑気味でした。私はこれほどの大著への挑戦に自信がなく、強く言えませんでした。ペーテルはそれを見抜き、社交辞令と思ったのでしょう。

 ただ、帰国しても興奮さめやらない私は、このチャンスを生かそうと再びメールでお願いしました。この時も良い反応はなく、翌年(2007年)の3月頃にメールでもう一度お願いをして、ようやく許可を得ました。最後は私のしつこさに押されたという感じでしょう。今になってみれば、無理をしてよかったとつくづく思います。

 

固有名詞の難しさ

 初めてお訪問した2006年の話。失礼ながら私は真っ先に「お名前の発音を教えてください」と質問しました。というのも、従来の日本の出版物には「ペーテル」「ピーター」「ペーター」「ピエール(!)」という4種類で書かれていたからです。さすがに「ピエール」はないと思い、紙にカタカナで「ペーテル」「ピーター」「ペーテル」と3つ書いてそれぞれ発音し、どれが近いかと尋ねました。そのお答えは「ペーテル」。しかもハンガリー語では「ル」が巻き舌になることから、私は小一時間、巻き舌のレッスンを受けました。

 それでも疑問は残りました。今でも本のタイトルやメールには「Peter Bartók」と書かれています。これなら「ピーター」ですし、なぜ正式な「Péter」と書かないのでしょう? もしかして故郷に対するネガティヴな感情でもあって、あえて英語式にしているのか? そこで、あえて突っ込んだ質問をしました。そのお答えがこれでした。

 

 「私の名前はペーテルだ。英語はピーター、ドイツ語はペーター、フランス語ならピエールだ。どれもみな同じだろう?」(p.454)

 

 一般的には「同じ語源の名前が各言語に適した発音や綴りに変化」しました。しかし、一人の人間が国境を越えるたびに名前まで変えたりすることはありません。歌手のマイケル・ジャクソンがフランス公演でミッシェルと名乗りませんし、指揮者・作曲家のピエール・ブーレーズが米国でピーターとは書かれません。

 ただ、ハンガリー語には特殊事情があります。ハンガリーの綴りは英語圏の人にとって難しいと感じられるようで、国外に出たハンガリー人は自ら英語式に名乗るケースが多数あります。指揮者のオーマンディやライナーはその代表です。したがって、ハンガリー名を英語名に変えて表記するのは一理あります。本書の原著でもハンガリー名は英語名で表記されていますが、2009年のペーテル宅訪問での発音チェックの際に、英語名はハンガリー名に戻しました。

 おもしろいことに、ペーテルはバルトーク・レコーズから出版した楽譜の解説について、英語・ドイツ語の解説には「Peter Bartók」、ハンガリー語には「Bartók Péter 」、フランス語には「Pierre Bartók」と署名しており、そこにもかなりのこだわりが感じられます。父親譲りの頑固な一面なのでしょう。

 

 

ペーテル宅を訪れた最初の日本人ではなかった p.452

 2006年9月、フロリダ州ホモサッサのペーテルの自宅に初めてお邪魔した時、「他に誰かここに来た日本人がいますか?」と尋ねると、「いや、キミが最初の日本人だ」とペーテル。そして2度めに訪問した2009年8月にはこんな話で盛り上がりました(当時ブログに書きました)。


  私: 3年前にお邪魔したとき『ここを訪問した最初の日本人』とおっしゃいましたね。

  ペーテル: そして2番めもキミだ。

 

 こんな経緯で「訳者あとがき」に

 「私は自宅を訪れた『最初の日本人』だそうです。」(p.452)

と書きました。ところがその後、今井信子さんの著書『憧れ』の中に、彼女が2003年にペーテル宅を訪問した話を見つけました。2003年といえば私はペーテルとメールのやりとりをしていましたが、訪問という点では彼女が先だったのです。国際的感覚を身につけてご活躍の今井さんですから、ペーテルは彼女が日本人だと気づかなかったのかも?

 

ライバル出現!?

  2008年2月2日、ペーテルからメールが届きました。「日本の△△△という翻訳斡旋会社が、My Fatherに興味をもち、翻訳していいか問い合わせてきた。権利はキミに与えたと答えるつもりだが、日本の出版社は決まったのかい? それともこの会社に興味があるかい?」当時まだ出版社が見つかっていなかったので、私は内心「助かった」と思いました。ペーテルは先方に「訳者はムラカミに決めてある。それを了承できるなら、出版の計画を進めてもいい」と伝えてくれましたが、先方には別の翻訳家がいたようで、この話はご破算になりました。別の翻訳家が訳し、別の出版社から出ていたら、この本はどんな感じになったでしょう?

 

いたずら用のピッチャー p.37

 ブダペストのバルトーク家にあったといういたずら用ピッチャー(水差し)、想像できましたか? 訳している時は原文から想像するだけでしたが、出版後に、海外のオークションサイトでさまざま売られているのを知りました。オークションで見かけた品を写真でご紹介します(問題があるなら削除します)。すでに売り切れているかもしれません。「puzzle jug」「hungarian puzzle jug」等の検索語で探してご覧になれば、まだまだ見つかるでしょう。

原著にはカラー写真も

 原著にはカラー写真が2枚含まれています。厳密に言えば、白黒写真のようでもセピア色が含まれていることから、多色刷りの本だということが分かります。日本語版は価格を抑えるために白黒で我慢しましたが、ペーテルからオリジナルの鮮明な写真データをいただいていますので、それを公開いたします。

 1枚めはp.38の戸棚です。p.37にも2枚ありますが、そちらは初めから白黒写真でした。トリミングせず周囲が映り込んだ状態でご紹介します。

 もう1枚は、1944年の春、ノースカロライナ州アッシュヴィルにあるアルベマールインに滞在中のベーラを楽しませ、《ピアノ協奏曲第3番》の鳥の声のモデルとなった、ワキアカトウヒチョウのイラストです(p.234)。アメリカの野鳥ガイドの挿絵によるものです。

あのマグカップ p.39

 

 あのマグカップもあった。…陶器製の普通のマグカップで、コーヒーやココアなど色の濃い飲み物を注いだようだ。ターゲットは大部分を飲み終えたところで、飲み物が入っている間は気づかなかったカップの底のカエルとご対面することになる。

 

 文章をお読みになれば想像に難くないのですが、現物がほしくて結構探しました。そして見つけたのが右の品です。

 残念ながら、バルトーク家の所蔵品と同じ品ではありません。アメリカのスペードマン・ポッタリーという小さな会社で製作・販売している「アニマグ」(アニマル・マグをつなげた造語でしょう)のシリーズの1つです。ホームページを見ると、ネコやイヌをはじめ多種多様なマグが揃っています。ときおりデザインを変えているようで、私が購入したのとまったく同じ品は見当たらなくなりました。日本のマグよりひとまわり大きいです(アメリカの通常サイズ)。もうかなり前に買ったので決済方法は忘れましたが、現状ではメールを送って交渉することになると思います。価格は現在28〜35ドルとのことです。

 いたずらや贈り物(?) にいかがでしょう。ただし、使った感想ですが、スプーンでかき混ぜると引っかかって不便です。やはりいたずら用でしょうか? ご承知おきください。

 

 

ヒロシマ、ナガサキ… p.81

 本書の「ヒロシマ、ナガサキ…」(p.81)について、Amazon.co.jpのレビューでケチをつけられました。言語に対するバルトークの関心の一例で、的外れな指摘であることはご理解いただけると思います。今になってみれば、ベーラのこの引用は、著者ペーテルの脚色だろうと思います。

 そもそも、広島と長崎の2つの地名が揃ってアメリカのニュースに現れたのは、両市に原爆が投下された1945年8月以降でしょう。ところがこの引用部分は1932〜1940年のブダペストでのエピソードです。その頃に広島と長崎でペアで述べることは日本人だってなかったでしょう。両市に悲劇が起こった時、ベーラはサラナクレイクの山小屋で発熱が続き、8月末に医者のいるニューヨーク市に戻ってきます。その頃、原爆のニュースはベーラの耳に入ったかもしれませんが、日本語の特徴を家族に話しているような余裕はなかったでしょう。

 したがって、ペーテルがあの逸話を述べようとして、父が挙げた地名を覚えていなかったために、思い出せる手頃な日本の地名を当てたに違いありません。2014年の訪問の際、ペーテルにこの件を質問してみましたが、私の語学力が足りず、ペーテルの記憶自体も曖昧で、明確なお答えはいただけませんでした。ただ、そこに誤りがあったとしても、あの逸話や本書自体の価値は落ちないと信じています。

 

厚紙をつけないスコア p.242

 「厚紙をつけないスコア(戦時中の経済政策)」(p.242)とはどんなものでしょう? 想像できますか?

 今でも薄いソロ譜がピアノ譜に挟んであるような場合は、ソロ譜に厚い表紙がありません。

 右の写真は私が所有している《中国の不思議な役人》の旧スタディスコア(Ph.304)の1つです。かなり珍しい品で、表紙は経年による黄ばみや汚れがあるものの真っ白です。紙質はページより少しだけ厚いものです。たぶんこれが戦時中の「厚紙をつけないスコア」の一例でしょう。ちなみに裏表紙はロゴも広告もないまっさらな白紙で、下の方に小さくPrinted in Austriaとだけあります。今なら記載されている「印刷年」「印刷工場」の記載が見つからないのが残念です。

 

セントラルパーク動物園の岩場。2013年8月、村上撮影。
セントラルパーク動物園の岩場。2013年8月、村上撮影。

岩場にも登ったのよ p.398

 アメリカで母ディッタがペーテルに宛てた手紙で、「セントラルパークを散歩しました。(中略)動物園にも行って、岩場に登ったのよ。」の一節は、どういうことか腑に落ちないまま訳しました。
 出版後、現地を訪れて納得しました。ベーラが「マンハッタンは島全体がこうした固い岩でできている」(p.113)と言ったように、セントラルパークもいたるところに大きな岩が露出し、特に動物園内では来園した子どもや大人の遊び場になっています。バルトーク夫妻もそうした岩場の1つに登ったと考えられます。おそらくベーラが興味をもって主導したのでしょう。

 

遺族の悲劇… p.455

 バルトークの没後に遺族を襲った悲劇について、「訳者あとがき」で少しだけ書きました(p.455)。レコーディング・エンジニアだったペーテルが、父親の楽譜の校訂に取り組んでいる事情について説明が必要でした。ある日本の文献(思い出せないのですが)には、ペーテルが「印税で悠々自適の生活を送っている」とまで臆測で書かれていることに反論したい気持ちもありました。

 ペーテルは2008年と2013年(改訂版)の2度、自伝的レポートを書きました。私も含めて親しい身内にだけ配られました。遺産管理人の裏切りと陰謀で遺族は全財産を失い、家族の絆まで断たれ、お金がないため弁護士を立てられない不利な裁判で人生の時間を失った苦難が綴られています。ペーテルはこの悲劇的な自叙伝を「美しい『父・バルトーク』の続編にしたくない」と語り、私は詳細を語ることを止められています。だから「訳者あとがき」でも最小限にとどめたのです。

 私が背負ってしまった事実はあまりに重くて手に負えず、将来それらをどう扱っていくべきか、まだ考えがまとまっていません。

 

ニュース

2018年
10月21日〜11月2日、調査研究のために渡米します。その間、対応が遅くなる可能性があり、品物の発送には対応できません。ご理解をお願いいたします。


7月23日、ご無沙汰しておりました。今年は特に多忙になり、目に見える活動ができずにいます。6月10日にちくま学芸文庫『バルトーク音楽論選』(伊藤信宏・太田峰夫訳)が出版されました。ハーヴァード大学での講義の日本語訳が初めて収録されました。

 

2017年6月16日、事後になり申し訳ありません。本日、NHK Eテレの『らららクラシック』バルトークの管弦楽のための協奏曲が放映されました。陰で少しお手伝いしました。ニュガトに「中国の不思議な役人」原作が掲載されて100年になりました。

 

11月5日、品切れになっていたLPレコードの303, 313, 905が再入荷しました。

 

9月30日、帰国しています。ペーテルは車椅子等の補助が必要ですが、数m程度なら自分で歩くことができ、安心しました。いずれ当ウェブサイトで報告したいと思いますが、現在は多忙で時間がかかりそうです。

 

9月21〜29日、ペーテル・バルトーク氏のお見舞い他のために渡米します。

 

8月27日、LPレコードの303, 313, 905が在庫切れ・再注文中です。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

 

7月28日、次の日曜日はペーテル92歳のお誕生日です。昨年に引き続き、一緒に誕生日を祝うことはできませんが、9月にお見舞いに行けそうな状況です。昨年の転倒により車椅子生活ながら、お元気と聞いています。

 

7月9日、下記でご連絡したCDが再入荷しました。

 

4月27日、3種類のCDが在庫切れで入荷待ちになっています。予約注文は承りますが、別便で遅れて発送になる場合があります。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。1009(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲)、1908(ティボル・シェルリ)、1914(ハンガリー民謡集)。

 

2016年2月10日、昨年末で欧州におけるバルトークの著作権が切れ、新たな出版等もあるようです。そのなかで粗悪品の売りつけや不誠実な対応(結果的に詐欺まがいな行為)を耳にしており、事前に確認して納得して利用されるようお勧めします。具体的にはここ

 

7月21日、ペーテルの後継者で編集者のピーター・ヘニングス氏の手術が終了終了しました(これで2度め)。バルトーク・レコーズの中心人物の怪我と病気でさらに前途多難です。お二人のお見舞い用に千羽鶴を家族で折り始めていますが、どなたか可能な方、手を貸してください。ご希望の枚数の折紙を当方からお送りし、鶴を折って返送していただく形です。メッセージカードを加えるなどの工夫も歓迎いたします。

 

6月12日、ペーテル91歳のお誕生日祝いとお見舞いは、主に資金不足からほぼ断念。ただ、航空運賃が安い9月にお見舞いに行く可能性を残しています。カンパは最初の1件だけです。CD《物語》の訳を《おはなし》に変更しました。新たに「お客様の声」を作りました。ショップ→お客様の声

 

4月18日、ペーテルのリハビリの効果が芳しくなく、車椅子が必要となりました。そのため自宅やバルトーク・レコーズでスロープ設置工事が始まります。

 

4月10日、今月からメール便が廃止されています。代替手段を検討中で、クリックポストにも対応するつもりです。古い表記は順次切り替えていきます。

 

3月18日、まもなく2ヶ月になりますが、ペーテルは当初の予定を越え、現在も病院でリハビリを続けています。快復を祈るばかりです。

 

1月28日、クリスタルリヴァー市のセブン・リヴァーズ・コミュニティ病院に入院中のペーテルは食欲があり、ベッドから起きることもできています。バルトーク・レコーズの職員が自家製のスープを毎日届けています。歩行訓練も含め、あと2週間ほど入院が必要とのことです。

 

1月23日、下記のように書いたところ、さっそく第1号のカンパを頂戴いたしました。もう感謝でいっぱいです(涙)まとまった数になったらご報告することを考えています。

 

2015年1月20日、ペーテル・バルトーク氏が自宅で転倒し、腰の骨を折り入院しました。20日(現地時間)に手術が行われます。高齢のため、手術もリハビリも困難な道のりが予想されます。
 お見舞いの渡米も現実味を帯びてきました。当ショップの昨年1年間の総売上は10万円ほどで、余裕はありません。商品の積極的なご購入、あるいはカンパ(ご寄付)の形でご協力いただけたら幸いです。カンパの送金先は「ホーム」に紹介する専用口座で、あわせてメールで名乗っていただけますようお願い申し上げます。

 

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